ジョサイア・ウエッジウッドのジャスパーウエアー
2011年 07月 28日もしかしたら、日本人が一番好きな、英国陶磁器メーカーかも知れませんね、
1759年にジョサイヤ・ウエッジウッドにより、創設されました。
その人となりをお勉強すると、うちに何気なくあったジャスパーの小物でも、花瓶でもより愛着がわいてきます。もっと素敵に飾ってあげなくちゃ・・・
ジョサイヤは1730年に陶工家の父と教会関係の仕事をする母の元に13人兄弟の末っとして生まれます。
でも、彼が小学生の時に父が死亡、学校は中退して、兄が受け継いだ父の事業を手伝う事になります。
さらに10歳少々の時には天然痘にかかり、右足が不自由に、10代最後頃には切断する事になってしまいました。
というように決して幸せな幼少期ではなかったようです。
足も不自由な事から、足踏みろくろを回すこともうまくできず、
実践では役に立たず、土などの研究に没頭していきます。
その後は、色々な運命の出会いがあり、彼を成功への道へと導いていきます。
その一人はやはり、従姉で、初恋の相手、奥様になったサラでしょう、
そして、大金持ちで知識人、色々なコネクションを持った、トーマス・ベントリーとの出会いは、
ウエッジウッド社には無くてはならない存在です。
出会いばかりではなく、ジャサイヤの研究熱心さと、努力、優しく素直な心を持ってして、
やはり、数々の成功があるのだと思います。
数々の成功の一つがジャスパーウエアー。
4年の歳月をかけて、納得できるブルーを出すために1万回の失敗を経て、
出来上がったジャスパー!完成は1774年。
こちらが、紅茶師匠の貴重なコレクション1870~1890年ころに作られた、
本物のポートランドの壺と同じサイズのもの、
底部分にもカメオ柄があるのです!
このような状態の良いものは、世界にそうそう数は無いと思います、
それがこんなに目の前に!!
このウエッジウッド社のマークにもなっている「ポートランドの壺は」
元は西暦25年頃にローマで作られた、カメオガラス、陶器に見えて、実はコバルトブルーのガラス製
だったんですね。
それを見たジョサイヤが惚れ込み、同じものを、陶器で再現したいと思ったことが,
ジャスパーウエアーでポートランドの壺を作るきっかけとなっています。
ローマからイギリスへ持ち込んだ、ポートランド公爵家の持ち物であった壺を
一年間限定でジャサイヤは借りる事ができ、
製作活動に入ります。
そして、ジャスパーウエアーのポートランドの壺が1790年に完成します。
ジャサイヤの最後の仕事となってしまいます。
ウエッジウッドマークの壺にこんな歴史があったなんて・・・
うちの母のコレクションに
こんなものもありましたが、
壺はありませんでした・・・やはりポイント外してる?!
でも、右奥のウイスキーのボトルは珍しいと思います。
なので、
今回、先生のところからこちらを譲っていただいてきました。
250周年の時に発売された、ミニミニポートランドの壺 オーナメント
最近、日本ではなかなか、英国製のジャスパーが手に入らない状況のようです。
とても手の込んだ職人技、
イギリスでも、壺のような大作を作れる職人さんは数名しかいないそうです。
そして、そして、お決まりの?中国製に移行していっている、とか・・・。
ちょっと残念ですね。
by rosaclaratea
| 2011-07-28 12:25
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